私たち丸安毛糸 設立65周年記念パーティーを行いました
- 更新日
- 2020.11.26(木) 19:01
- (投稿日 2020.11.25(水))
こんにちは。
2020年11月13日金曜日18時から、私たち丸安毛糸株式会社、
設立65周年記念パーティーを行いました。
場所は、赤坂プリンス クラシックハウス でした。
赤坂プリンス クラシックハウスを選んだわけは、こんなことからなんです。
ちょうど1年前の11月13日でした。
昨年の11月、2020年に65周年のパーティーを正式に開催することを
決めました。
その時は、まだ2020年8月の東京オリンピック開催の話題で、湧いていた頃。
私たちの設立記念日、7月6日(設立1955年(昭和30年)7月6日)
近辺は、もちろん、どこのホテル、どの会場も、満室でした。
11月くらいであれば、もう落ち着いているだろうと思い、11月に何処かでやることを
決め、いくつかホテルや、催し物会場を当たっていました。
ちょっとクラシックな雰囲気の会場はないかな、、、
それは会社の雰囲気もそうだし、
私が「あること」をやりたかったからなんです。
総務のスタッフを呼んで、11月に開催したい旨を告げ、場所を探そうと言ったところ、
女性スタッフが、
「今、社長が言われた条件が合うところありますよ。友達の結婚式に行って
感動しました。」
すぐにネット検索し、いいじゃん!となり、すぐに問合せをしました。
「社長、明日空いていますか? 赤坂プリンスのスタッフさんが来てくれるそうです。」
え〜〜っ! どこの会社かわからない、丸安毛糸さんからのメールの問合せに
翌日わざわざきてくれるの!?
それだけでも、感動してしまいました。
来ていただいた女性スタッフの方は、カタログを持参し、丁寧に説明して
いただきました。
でも、もちろんかなり混み合っていること。
「ところで、ご希望のお日にちはいつでしょうか。」
「11月13日の夜なんですが、、、」
「ちょっとお調べいたしますね。」
「あ、この日であれば、ご用意出来ます。」
本当にこの日だけ、たまたま会場が空いていて、中庭も全て使える。
こんなラッキーなこと、ありません。
「お願いします。」
下町のどこかわからない私たちの会社に、翌日すぐに来てくれたことが嬉しく、
即答しました。
素早い対応って、すごく大事ですね。 そんなことに心が動きました。
こうして、ちょうど1年前の11月13日に、場所を決めたことから始まりました。
そして、赤坂プリンス クラシックハウスとは、こんなところです。
「旧グランドプリンスホテル赤坂 旧館」として親しまれた、美しいチューダー様式の洋館「旧李王家東京邸」は、
1930年に旧宮内省内匠寮の工務課長として活躍した北村耕造(きたむら こうぞう)と、
技師の権藤要吉(ごんどう ようきち)らの設計により建設され、2011年には東京都指定有形文化財に指定されました。建設当時の詳細な資料などを基に照明器具や外壁などの主要部分を当時の状態に復原し、気高く優雅な往時のしつらえを
取り戻すと同時に、現代の多様なニーズに応えるため、料飲施設やバンケットを備えた「赤坂プリンス クラシックハウス」が
オープンしました。(HPより)
私がやりたかった「あること」とは、サンドアートなんです。
サンドアートって、ご存知ですか?
私は、サンドアートで会社の歴史をご紹介、振り返りたかったんです。
古い写真とか、そう言うものを使った映像ではなくてね。
サンドアートのモノトーンは、クラシカルな雰囲気に凄く合うと
思っていたからです。
私が通っている銀座の美容室EGO。
そこのオーナーの、吉田健さんが5年前、EGOの歴史を振り返ったサンドアートを
自身のブログと、SNSに公開していたのを見て、凄い!と感動。
いつか私たちも、そんな歴史を振り返る機会が合ったら、絶対にお願いしようと
決めていました。
そして、ついに、5年の歳月が流れ、健さんに連絡。
「健さん、いつかサンドアート見せてくれたじゃないですか。
もしよろしかったらご紹介いただけますか?」
すぐにCaveさんをご紹介いただき、そこからサンドアートの打ち合わせが始まりました。
そして、コロナに、、、
時がたち、、、
どうしようか、、、
3月以降、イベント関係がどんどん中止になります。
会合も、集まりも、ゴルフコンペさえ、どんどん無くなっていきます。
オリンピック延期
緊急事態宣言
甲子園高校野球中止
でも、一部のスポーツ、プロ野球、大相撲、が無観客で開催から、
50%そして80%へ
GO TO トラベルや GO TO イート 開催
ずっと、悩む日々が続きます。
8月末になり、11月初旬の催しであれば、そろそろ御招待客にはご案内を
出さなければなりません。
当初は、今回の倍以上のお客様にお越しいただくことを想定して、
リストアップをしていましたが、考えに考えた末、小さくても、少ない人数でも、
開催しようと決めました。
社用だから、、、ではなく、
仕方なく(笑)ではなく、、、
「もちろん!喜んで!!」
と、ご出席いただける方々です。
また、社員の皆んなにも、あの空間を楽しんでもらいたかったので、結構間際まで
場所を教えませんでした。笑
だから、とってもアットホームな場になりました。
大変お忙しい中、また大変な世の中で不安の中、全国からわざわざ
お越しいただきました。
私たちは今年、無事、会社設立65周年を迎えることが出来ました。
これも一重に、ここにお集まりいただいた取引先の皆様、大切な社員の皆さん、
そして支えてくれた家族のおかげだと、深く感謝しております。
今まで大変多くの方に支えられて参りましたが、当日ご招待させていただいた
皆さんは、私たちが特に大切にし、また私たちが誠に勝手ながら、
「丸安毛糸のファン」であろうと思っている方々です。
新潟、北陸のニッターの皆さん、尾州より撚糸、紡績の皆さん、商社の皆さん、
香港からもお越し下さいました。
先代の時代からお世話になっているアパレルメーカーの皆さんもいらして
下さいました。
そして私の大切な経営者仲間も来てくれました。
実は、周年行事でこうしてお客様をお迎えしてパーティーを開催したのは
初めてです。
何故、今回そうしたかと申しますと、特別な理由があります。オリンピック
イヤーだったからと言うことではありません。
実は、今年数えで、父88歳、私58歳、そして今年4月に入社した
私の長男の淳が28歳、と888と8が3つ並び、縁起がいいからと
言うことがあります。
そして今まで、父に感謝する場がなかったこと、また嬉しいことに長男が
後を継いでくれると言ってくれたこと、
そんな言ってみれば、岡崎家の理由で皆様にお集まりいただきました。
きっとファンである皆様だったら、許していただけるのではないかと、
勝手ながら思っています。
大変申し訳ありませんが、お付き合いいただきました。(笑)
創業からすると77年になります。
私のおじいちゃんが、戦時中腹巻や手袋と言うニット製品の卸から
始まりました。
終戦後、父が大学を卒業したのを機に父安宏の名前、安全の安をとって、
おじいちゃんと父二人で、丸安毛糸を設立しました。
当時は東京に10社以上、大きな糸屋さんがありました。寒さを防ぐニット、腹巻、
ステテコのような実用衣料としてのニット製品が、大量に流通していました。
大きな糸屋さんは、そこ向けに普通の糸を大量に販売していました。
丸安毛糸は後発だったので、他とは違うことをやらなければなりません。
普通の糸で大きな数量や大手とのお取引を狙うのでは無く、ちょうど時代は
少しづつ実用衣料からファッションのセーターに向かっていたので、
特にファンシーヤーンと呼ばれる特徴ある糸の企画、それを活かす為の編地の開発、
さらには今では当たり前になっていますが、色をつけた糸のブックを作り、
小さな小さなニットアパレル様向けに販売をしました。
高度成長期、人々がファッションに目を向け始め、その小さなニットアパレル様の
成長と一緒に糸づくりをして来た私たちは、お客様と一緒に歩むことが出来ました。
80年代は、デザイナーキャラクターブランドが全盛でした。
デザイナーブランド向けの糸は、まさに私たちの得意分野であり、長きに渡って
小さなアパレルメーカーさんと、一緒に差別化した商品を開発してきたことが
見事にマッチしました。
1990年、ちょうど30年前、父が家のようなお洒落な今の社屋を建てました。
今まで感性の高い糸を作ってきた、糸にかける思いが新社屋と言う
カタチになりました。
私が3代目として社長になったのは、17年前40歳の時です。
大好きだったおじいちゃんの生誕100歳の日、5月20日にこだわり
その日に就任しました。
その時、3本の矢と漢数字の八をイメージした会社のロゴマークを作りました。
継いだ私は、創業者である父のようなカリスマ性は全くありません。
自分が先頭になって引っ張っていくことは出来なかったので、みんなの力を借り、
とにかく社員みんなと一緒にやっていくことを決め、
ニットに携わる皆んなと一つになりたい、そんな思いで、初めて自分の言葉で、
経営理念を作りました。
それが、
老舗の誇り、プロの誇り、みんなで編み続ける会社、それが丸安毛糸です。
と言う理念です。
父の時代から、ただ売り先や仕入先と言う関係では無く、
社員、仕入先、アパレルメーカー、とにかくみんなで一緒に、差別化したものを
作り上げ、売れた事を一緒に喜び合うことです。
老舗であること、プロであることに誇りを持ち、これからも、みんなで
編み続けようと言う強い思いから、この経営理念を作りました。
現在も、この理念に沿って経営しています。
2000年になり、私は、設立からのDNAをさらに発展したく、
さらに独自の素材開発に力を入れるために、イタリアのフィレンツェで行われる
Pitti Filatiと言う展示会に、年2回必ず足を運ぶようになりました。
とにかくイタリアはお洒落で、糸も編地も製品も見るもの全てが憧れでした。
しかしながら、社員と一緒に何度もフィレンツェに行き、
一緒にポンテベッキオと言う橋を見るたびに、
もっと皆んなと同じ景色を見たい、と思うようになりました。
同じ景色とは、憧れだけではなく、海外に挑戦したい、売りたい、PittiFilatiに
糸を見に行くだけではなく、あそこに出展したい!と言う私の夢でした。
そしてそれを、3年前、社員のみんなが叶えてくれました。
本当に嬉しかったです。
糸はMonteluce, 製品はPunto D‘oroと言うブランドを作り、
何度も何度も打ちのめされ、悩みながら、イタリアとパリに出展を続けています。
今まで私がかなり自由にやらせてもらってきたのは、父から
「昔は良かったな〜」と言う言葉を、今まで一言も聞かされなかったから
だと、思っています。
父は、モノとか歴史にあまり執着心がなく、写真やその時代のアーカイブ的な
モノが残されていません。
今はそれが欲しいな〜とは思うのですが、ないのです。
歴史に縛られることなく、常に新しいことに目を向けてきたからでは、
と思います。
このように、私たちの65年間は、まさに戦後の寒さを防ぐ為のニットから、
ファッションのニットに移り変わる過程と一緒に歩んできたと思っています。
設立当時10社以上あった、大きな東京の地場の糸屋さんは、
無くなってしまいました。
どんどんなくなっていく中で、私が社長になって決めたことは、たとえ
「最後の1社になってもやる」
と言う覚悟でした。
私たちはこれからも引き続き、ニットが大好きなお客様と、
信頼する社員の皆んなと一緒に、モノづくりをしていきたいと思っています。
そして、次は本気で、100周年を目指しています。後35年、
父123歳、私93歳、そして、淳63歳で迎えることが出来たら、
本当に嬉しいことですね。
パーティーに花を添えたのは、世界に3枚だけのオリジナルニットです。
始めは、短パン社長にユナイテッド・アローズに付き合ってもらい、
パーティー用のスーツとネクタイを買おうと思い、
「短パン、パーティーに何着たらいいかな。」
と何気に聞いたら、即答でした。
「ニットですよ、ニット! 細いゲージで、タートルかハイネック。
色はネイビー。インターシャで、社名とロゴマーク。字の色は白です。」
想像もしていなかった答えに唖然、、、笑
「淳くんに、デザインさせればいいでしょ!」
日本に細いゲージのインターシャが出来る工場は、、、ありません。
海外の工場、、、
たった3枚のみ、、、作ってくれるの!?
それに、、、今から間に合うの!? 普通は絶対無理です。(笑)
もちろん、糸はあります。糸屋さんだし。
すぐに、スタッフに相談。
かなり厳しい注文。
途中、めげそうになりましたが、
短パン社長は許してくれませんでした。(笑)
作っていただけたのは、パーティーにもご出席いただいた、
香港にニット工場を持つ、山尾社長。
サンプルなしの、ぶっつけ本番でしたが、見事に、本当に素晴らしい商品を
作ってくれました!
到着は、わずか3日前。
山尾社長、スタッフの皆さん、ご協力本当にありがとうございました。
このセーター企画は、大成功!! やってよかった。
短パン社長、ありがとうございました。
更に詳しいお話は、短パン社長のブログで。↓ ↓
丸安毛糸さんの65周年記念パーティーに出席。「糸を売る=続」その名の通り、とっても感動的な会でした。
初めてCaveさんにお会いしたのは、今年の2月20日。
まずはお顔合わせと言うことで、会社に来ていただきました。
会社の雰囲気などを見ていただきたかったからです。
ちょうど、Monteluceの展示会を開催していたので、
糸や編地も見ていただきました。
後日の内容の打ち合わせの時は、私たちのホームページ、
ホームページ内にある「丸安毛糸の物語」、さらに私のブログまで
全て目を通されていていました。
事象ではなく、その時の私たちの思いや、
私たちが共通して見てきたモノや景色、、、
そんな質問が、どれも本当に素晴らしかった。
Caveさんにお願いして、本当に良かったと思いました。
赤坂プリンスでの現地打ち合わせは、9月。
音響や照明、そしてサンドアートと音楽は、絵コンテで
流れを聞きました。
後は、私も本番までお楽しみです。
いよいよ本番です。
司会の永吉さんから、私から社員と家族にサプライズのプレゼントがある旨を
アナウンスしていただき、私がマイクの前へ。
そして、私から Caveさんをお呼びして、Caveさんの入場です。
私たちの出会い、制作までのお話、そしてサンドアートはこの場で
ライブで行うことなど、私とCaveさんとでお話して、
オープニングからゆっくりとサンドアートが始まりました。
Caveさんが演じている様子もわかります。↓ ↓
Caveさんも早速ブログに書いていただいています。
是非、読んで下さい。 ↓ ↓
私や、私の話のどこをどう切り取ったか、、、
などなど書かれています。
サンドアートは、このブログの「会社の歴史」の話に沿っています。
サンドアートのフルバージョンは、こちらです。(15分) ↓ ↓
パーティーの中締めは、長男の淳がお話しました。
当初は、父が行う予定でしたが、
「もう私はいいよ。若い人がやったほうがいい。」
そう言われたので、同じセーターを着た父と私で後ろから
支えることにしました。
支えると言うより、かなり立派なスピーチをしてくれ、皆んなから、
最初の社長の話より、いい!上手い!!と賞賛いただきました。
父も嬉しい(笑)ちょっとだけ悔しいけれど、マジ良かったです。
こうして、65周年パーティーは無事終了しました。
こんな大変な時でしたが、家族も社員もお客様も、
皆んなが笑顔で一つになった、そんな素晴らしい場でした。
どんなに素晴らしい演出をしても、
場を作るのはその場にいる 人人人、、、
丸安さんらしい
アットホーム
お洒落
暖かい
感動した
泣いてしまった
そんな言葉を沢山いただいたパーティーでした。
私たちはこれからも、ニットに携わる人人人を
大切にしていきます。
引き続き、丸安毛糸をよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。