岡崎博之プロフィール
- 更新日
- 2020.7.10(金) 18:50
- (投稿日 2017.2.23(木))
私は1963年(昭和38年)、東京都墨田区両国で岡崎家の長男として生まれました。現在53歳です。
2003年5月20日、40歳の時に繊維製造業の産地、東京下町の両国で、創業62年の老舗、セーター、ニットの専門会社、丸安毛糸株式会社の3代目の社長になりました。
大好きだった祖父の生誕100歳の誕生日を就任日に選んだんです。
どうして継いだかって?
小さい頃から社長である父親を見ていて、仕事が凄く楽しそうだったから。
ペルーやイタリアへ糸の買い付けに行ったり、LAのディズニーランドへ行ったり(笑)、、、
仕事で海外に行く姿がとっても羨ましかった。
自分も継いだらそんなことが出来るかな〜って。本当に単純にそう思ったからなんです。
私がこれまで歩んできた多くのことは、家族、家業、地元と大きな関わりがあります。
1955年(昭和30年)、祖父と父が創業した当時は、日本は戦後の大量生産時代。
他にたくさん大手の同業者があり、手袋、腹巻き、防寒としてのセーター用の糸を多く扱っていました。そこで創業当時から他社と差別化。ファンシーヤーンと呼ばれるファッション性の高い糸の開発に特化する、独自な路線を進んできました。時代もちょうどファッションとしてのセーターが出始めてきたからです。
また、売り先も大手をターゲットにせず、中小のモノづくりを重視するアパレルメーカーに絞り販売してきました。安売りをせず、自社の価値を認めてもらえるアパレルメーカーとの取り組みです。
現在も、進化しながらも、これらの創業からのDNAはしっかり継承しています。
そして、創業当時の大量消費、大量生産時代の大手の同業者が次々に、倒産、廃業に追い込まれる中、業界では、特化された糸屋として、オンリーワンの会社になったのです。
差別化、独自化、他とは違うことをやりたい、、、
そんなDNAは、こうして会社にも、そして自分の中にもいつもあるように思います。
幼少期は、会社と自宅が同じ建物にありました。
いつも家族と社員、そしてお客様と同じ空間で過ごし、更には母親の実家もニット製品製造業であった為、当たり前に “糸” に囲まれた生活でした。
1ドル200円をゆうに超えている時、アメリカの大学に留学しました。
若い時こそ世界を見てきなさい。そう父親に強くすすめられたからです。
この為替レートだったので、4年間の出費は相当なものだったでしょう。本当に感謝ですね。
帰国後、時代はバブル。
5年間一部上場の大手商社勤務の経験を引っ提げ、28歳の時に3代目として、父親の経営する会社に入社しました。
そこで最初に驚いたことは、全く勉強をしていない中小企業のレベルと、大手企業との大きなギャップでした。
そこで、留学から大手商社の10年間で学んだアメリカ式経営、成果主義や、経営戦略、目標管理などを導入して、“仕組み”と“マネージメント”で社員をコントロールすれば、売上は倍になるかもしれない!と、もくろむましたが見事に大失敗。
逆に業績の悪化と、社員が次々に退社。多くの代償を払いました。
苦しんだ末、見つけた答えは、、、
幼少の頃から自宅と会社が一緒だったことで、家族、社員、お客様がいつもそばにいました。
仕事のプライベートもなく、いつも同じ、いつも一緒だったんです。
人が自由に出入りをして、皆んなが楽しそうに仕事をしている姿。
そう、「みんなで一緒」にやっていくことでした。
仕組みでコントロールすること、社長としてカッコつけることではなく、素直にいつもの自分を出していくことでした。
そこで、はじめて理念とミッションを作りました。
それを社員と共有、共感する関係を作り出していくこと。みんなで同じ方向を向いて進んで行く会社を目指しました。
そして、その時、糸業界で「最後の1社になってもやる!」と言う大きな決意もしました。
経営理念
老舗の誇り、プロの誇り、みんなで編み続ける会社。
それが、丸安毛糸です。ミッション
ニットを作る楽しさ、嬉しさ、そして感動を伝え続けたい。
それからの私は、この経営理念とミッション、そして自分自身の生き方である「みんなで一緒」に、を、何とかカタチにしていきたい。と言う想いで、会社で様々な挑戦を始めました。
その中の大きな取り組みの一つで、会社の転機となったのが、2009年3月に設立した、Knitlabo(ニットラボ) でした。
私たち独自の会社の価値ってなんだろうって考えてみました。
「モノは売らない。私たちの価値を提供して喜んでもらいたい。」
私たちの価値は、60年に渡り日本のニットファッションをリードしてきた、ファンシーヤーンとそれを使ったニット作りのノウハウです。
製造業でありながら、全く新しい視点で、ニットを作る人たちに会社を開放し、
「みんなが集う」そんな空間を作りました。
アパレルのデザイナーさんが、モノづくりを思い出して、私たちニットのプロから好きな時、好きなだけ、アドバイスを受けることが出来る。
つまり、お取引きではなく、まさに「みんなで一緒に」楽しくニットをつくる場所、
それが、Knitlabo(ニットラボ)です。
この取り組みは、業界では、発想の斬新さで、多くの方々より賛同を得て、業界紙の多くに掲載されました。
ニットを作る楽しさ、嬉しさ、そして感動を伝え続けたい。
ミッションをカタチにしていくことは、このニットラボからはじまり、展示会や、セミナーの開催など、常にこれを原点に何が出来るかをみんなで考えています。
最近では、ブログやSNSを使って、多くの情報、ニットのノウハウを毎日発信しています。
ニットのウィキペディア、ニットのシンクタンクになれたらいいな〜と思っています。
2017年2月23日より、このワードプレスでブログを書き始めました。
どうしてでしょうか、、、
ブログは、2009年10月2日からアメブロで書き始めて、7年4ヶ月、2017年2月22日までで、2517記事を書きました。
はい、アメブロからの移行です。
2017年2月23日は、ニューヨークへ旅立った日なんです。
そう、新たな決意で、行動を起こした日なんです。
世界に通用する会社
にしたい。そして、
世界中のニットを愛する人たちが集う会社
にしたい。
そう決めて、行動を起こした日。
それに加えて、もっともっと「個」を出していきたい。
仕事を思い切り楽しんでいる自分「大好きな仕事」、
実はセミナーや講演を聴くのが大好きな自分「大好きなお勉強」、
そして、自分の大好きなこと、ゴルフや海外旅行、食べることなど、もっともっと自由に、ざっくばらんに綴る「私の大好きなコト」
を発信していきます。
オンとかオフとか、仕事とかプライベートとか、、、そんな分け方はしません。
「遊びのような遊び、仕事のような遊び」
これからは、ステキな公私混同をしていきたいな。
父親のように、楽しく仕事をしたい、海外にも行きたい、、、
そんな思いでやってきた仕事が、今その思いのようになっています。
そしてこれからは、そんな思いを子供たちや、次世代の若者に繋いでいきたいな。
自分が経験してきて楽しかったこと、良かったことは、自分と同じ経験をさせてあげたいと思うのです。
働くことは楽しいよ。
楽しんで働いていいんだよ。
そんなことをこのブログを通して伝えていきたい。
ビジネスでもプライベートでも成功する秘訣は、、、
何でも面白がること!
最近つくづくそう思うのです。(笑)
・・・でもHC13から15をフラフラしている腕前です(2017年お正月:小見川東急GCにて)。
ですが・・・まあこんなもんです(2017年富良野にて)