ラグビーと歩んだ次男と私の話
- 更新日
- 2018.2.1(木) 21:57
- (投稿日 2018.2.1(木))
「お前、まだいたの?(笑)もうとっくにいないと思っていたよ。」
コーチ、OBや先輩、、、会う度に、皆んなにそう言われていたらしい。
「はい、俺、かなりしつこいんで。(笑)」
次男が4年間の大学ラグビーを終えました。
これは、私と次男の裕(ゆう)のストーリーです。
今しか書けないので、忘れないように、こうしてブログに書いています。
こんにちは。
遊びたかっただろう4年間、とにかくラグビーを最後まできちんとやり遂げた次男を
私は誇りに思います。
ラグビーが大好きで大好きで仕方がない。
絶対にAチームで試合に出て大活躍する。
いやいや(笑)、それとは真逆だったかもしれないな。
ラグビーが好きには変わりないけど、、、
それくらい活躍したい!と思った時はあるかもしれないけど、、、
そう、結局4年間、私は次男の出る試合に応援に行くことはなかったのです。
駒込高校ラグビー部時代、花園(全国大会)へ行くレベルではなく、やっと東京都ベスト4。
それくらい普通の選手だった次男が、私の交友関係からのお話があり、運良く、名門関東学院大学ラグビー部へスポーツ推薦枠で入学しました。
全国レベルの選手が本気で集まる大学ラグビー。
もちろん不安だらけだったことでしょう。
自分のラグビーのレベルは、本人だって、もちろん親だって充分わかります。
でも、
「裕は今まで、ラグビーに救われて来たんだ。続けた方がいいと思うよ。」
最後に私は彼の背中を押しました。
その時書いたこのブログは、「駒込高校ラグビー部」「駒込高校」の検索で未だに
かなりの人に読まれているそうです。
その後、同校のラグビー部が強くなっていった要因の一部になっていれば、幸いです。(笑)
(全文を載せます。)⬇
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こんばんは。
ノーサイド、、、涙に暮れる次男の裕(ゆう)。
その姿に、私も大粒の涙を流した。
次男の高校のラグビー生活が、今日終わった。
そう、東京都予選ベスト8で敗退したということです。
ラグビーに救われた次男
次男の高校は、文京区の駒込学園と言う私立の高校。
中学1年の2学期から、この付属中学校に入学しました。
中学1年の2学期?
そう、編入試験を受けて、途中から言わばこの学校に引き受けていただいたのです。
中学受験でかなり良い学校に合格しました。
でも、次男はその学校にどうしても合わず、度重なる問題をおこし、学校への親の呼び出し
わずか3ヶ月間でしたが、数知れず。
何度詫びたことだろうか。
そして、最後は退学勧告。
私たちも相当なストレスを抱え、このままでは、子供も自分たちもおかしくなってしまう、、、
せっかく合格した学校でしたが、辞めることを決意したんです。
しかしながら、私が必死で探して、せっかく受け入れてくれた今の学校でも、入学するやいや、まだ校長先生から呼び出しを受け、、、
そんな時、担任の先生がラグビー部の顧問だったことから、
「岡崎、オマエみたいなワルは、ラグビーやれ!」
と、強制的に入部させられた。
始めは、「ふざけんな! あんな痛いのやりたくない!!」と、反抗しながら、しぶしぶ参加していたんですが、気がついたら、、、すっかりラグビーに魅了されていたのです。
「デカイ相手にタックルして、キレイに倒した時なんか、サイコーに気持ちがいい!!」
今まで何も喋らなかった次男でしたが、夕飯時は、
「もうわかったから!(笑)早く食べなさい。」
と言うくらい、ラグビーの話を夢中でするようになった。
顔つきもみるみる明るくなり、引き締まってきました。
小学校時代から(笑)悪事を重ねていた少年が、好青年に変化していったのです。
振り返ると、要するに、エネルギーが高い次男は、それを消化する場所も、消化する方法もわからなく、いろいろ悪戯をやらかしていた。
(次男の名誉の為に言いますが、極悪、ヤンキーではないです。(笑))
ラグビーと出会い、身体をぶつけ合うことから、その高いエネルギーを、消化する、発散する方法を見つけた、、、と言うことなんでしょうね。
ラグビーに救われた次男
ラグビーで、自身のエネルギーの発散以外にも、もちろん色々なことを学んだようです。
チームプレーなので、自分勝手な行動はもちろん出来ない。
チームでの責任感も当然身に付く。
先生からも、親身に、相当身体を張った指導をされました。
やはり、先生も「ワル」は可愛いようで、、、(笑)
たまたま、そんなエネルギーの高い連中が、同学年のラグビー部には大勢いたおかげで、決してラグビーで有名な学校ではない駒込学園が、今日の準々決勝にコマを進めることが出来たんです。
中学1年から、6年間チームづくりをして来た成果です。
今日の対戦相手は、優勝候補の目黒学院高校。(当然優勝するでしょう。)
選手層も厚く、超超高校級の選手ぞろいです。
あまりにも体格差、レベルの差があるので、100対0か!?と、言われていました。
円陣を組むと、、、
コレ 対 コレ ですから~ ↓
トンガ人のデカイ選手が3人もいて、中でもこのテビタタタフ君なんて、これで高校2年生ですよ~!!(化け物だ~) ↓
彼の突進は、5人がかりでも止められなかった、、、
前半はかなり頑張りました。
全員死に物狂いの全力プレーで、もしかしてトライ出来るかも、、、
熱い気合いあふれるプレーが、凄く伝わってきました。 17対0。
次男もいいタックルして、相手を持ち上げてもいました。が、、、
やはり、強豪校は後半が強い!
目黒学院高校が、このテビタタタフ君を投入してからは、全く歯が立たず、ため息の連続。
終わってみれば、76対0。
笛が鳴り、ノーサイド。
親子それぞれが、涙に暮れました。
いろんなことを思い出し、、、私の涙には、そんな理由も重なりました。
次男はそこまでは考えはしなかったでしょうね。
でも、いつか、きっと彼にもわかる時が来る。
そう思います。
ありがとう、ラグビーさん。
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そして、入寮の日、私はこんなブログを書きました。
(全文を載せます。) ⬇
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「私が最後に裕の背中を押した、、、それでよかったんだろうか、、、」
次男が、大学でラグビーを続けるか、大学受験をするか、悩んでいた時があった。
「裕は、ラグビーに救われてきたよね。それで今回もご縁があって、声をかけていただいた。
だから、俺は続けた方がいいと思うよ。かけがえのないものを手にすると思う。」
そう言って、最後に彼の背中を押した。
あの時、あれでよかったんだろうか、、、
おはようございます。
今朝、次男の裕が、大学のラグビー部の寮に、旅だって行きました。
次男の旅立ち
大泣きしながら、「今まで、ありがとう。俺、頑張るからさ。」
今朝、そう言われた時は、さすがに私もこみ上げてきた。
手がかかった子だった。
そんなだから、私自身もとっても向き合ってきた子だったから、余計に寂しい。
子離れ出来ていない、、、そう思われたって、、、今日はいい。
私が背中を押さなかったら、普通に大学に行って、楽しい大学生活を過ごせただろう。
それはそれで、もちろんいい。
だけど、不安で、もしかしてとっても辛い大学生活になるかもしれない、そんな決断をさせてしまった自分は、それでよかったんだろうか。
今週は新しい生活への不安と期待で、まだ18歳の青年がいろいろと考えていたようで、かなりナーバスになっていた。
そんな様子を黙ってみるにつけ、背中を押したことを、どこかで少しだけだけど、後悔した自分がいた。
でも、それは、自分の淋しさをまぎらわしているだけなんだろうな。
昨晩、裕の部屋で、このことをもう一度話をした。
「裕にラグビー続けた方がいいよ。って言ったじゃん。今はどう思ってるの?」
そうしたら、
「続けるか、受験するか、決められなかった時、背中をおしてくれて
俺は助かったよ。俺は、勉強とか受験とか、今までみんなみたいに苦労していない分、これから頑張るんだ。だから、とにかく諦めないで、レギュラーを目指す。」
そう言ってくれた。 大人になったもんだ。
「お父さんが今になってこんな話をするのはさ、何だか急に寂しくなっちゃったからなんだけどね。(笑)」
私も30年前に全く同じ経験をした。
アメリカに旅だった時、両親もこんな思いだったんだろうな~。
今になって感じる、親の気持ち。
手がかかっただけあって、またラグビーと出会ったからか、自分が親に苦労をかけたことをわかっているからか、とっても優しく、気が利く、思いやりのある子に成長した。
学校の帰りにシュークリームを買ってきてくれたり、
私の分もスクランブルエッグを作ってくれたり、、、(笑)
こんなこともあったな。
昨年の夏には、妻と二人で海水浴に行った。
友達からは、「母親と海水浴!?キモ~っ!」
その時こう答えた。って、友人の親から後日聞いた。
「俺、昔から苦労かけてきたし、成績とか勉強では返せないんだよね。せめてそれくらいしか出来ないからさ。」
これから4年間の寮生活。
いつ、どんなタイミングで帰宅出来るかはまだわからない。
でも、カラダもココロももっともっと大きくなって帰ってくるんだろうな。
だけどね、、、
最後に裕にはこう伝えた。
「皆んなの期待とか、そんなのは全く背負わなくていい。これからは自分自身の為に、自分で決めてやるんだ。本当に本当に、もう本当にどうしようもなく、苦しくて苦しくて辛かったら、堂々と帰ってこい。ラグビーや大学だけが人生じゃない。これから、裕は何でも出来るんだから。」
「俺、やるからにはやめないよ、大丈夫、帰って来ないから。(笑)」
次男の旅立ち
見守っていきます。
いってらっしゃい!!
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そう言って旅立っていった次男は、本当に辞めなかった。
175cm、69キロだった身体は4年経ち、177cm 80キロになって帰宅しました。
「お前、まだいたの?(笑)もうとっくにいないと思ってたよ。」
コーチ、OBや先輩、、、会う度に、皆んなにそう言われていたそうです。
同期は4年間で、10人近く辞めていきました。
もちろん辞める理由は、練習がキツいだけではありません。
人間関係、理不尽などなど色々あります。
次男も先輩とのことでふさぎ込んで帰宅したこともあったし、事件を起こして練習や試合に出させてもらえなかったこと、大学生になってもまた謝罪の坊主頭かよ!(笑)、、、
そんなこともありました。
でも、1度も彼の口からそれに対しての文句は聞いたことがなかった。
何で?
1度聞いたことがあります。
そうしたら、
「だって、文句を言ったとしても何~にも変わらない。受け入れてただただやるしかないんだよね。」
「気にしたってしょーがないし。 それに俺、そう言うのすぐ忘れちゃうんだよね。(笑)」
そして、試合にはもちろん、練習に出れなくても、部室やウエイトルームの掃除、グランド整備などは、腐ることなく続けていたそう。
そんな姿を、同期や後輩は眺めていたようです。
ふざけんなよ! 辞めてやる!!
とっくにそうなっていると思いきや、何だかわからないけど、いつもヘラヘラ笑ってそこにいる。
だから、
「お前、まだいたの?(笑)もうとっくにいないと思ってたよ。」
と言われるんです。
「俺、諦めないんだよね、、、」
つぶやくようにそう言います。
4月から行きたかった会社に就職します。
絶対に辞めなかった、続けてこれたのは何で?
「それは絶対に就職したかったからです。」
そう、その為に頑張ってきたんです。
とにかく、大きな会社に入って、思い切り働いて、稼ぎたい。
職種は問わない。
ワークライフバランス? やりがい? スキルアップ?
なにそれ!!??
そんなの関係ない。 とにかく稼ぎたい。
就活をはじめて間もない頃、Daiwa House から内定が出ました。
それから安心して、最後のシーズンに向けての、夏合宿に入りました。
就活していることは知っていました。
でも、あまりそのことは話をしません。
私も就職は自分の力でどうにかするしかないと思っていたので、口出しはしていませんでした。
ところが、あれよあれよと、Daiwa Houseの最終面接までいったことを聞きました。
まさか!!??(笑)
ラグビーしかやってないのに、、、そんな甘くないでしょ。
それに練習で時間がなく、住宅展示場なども行ったことがなかったらしく、3次面接の面接官には
「ダメだよ~〜それくらい見てこなくちゃ!(爆笑)」
と言われたらしいので、、、
最終面接の前に、せっかくだから、何かアドバイスしてあげたい、、、そう思い待っていたのですが、姿を表さず。
どうやら、、、
今まで散々迷惑をかけてきたから、就職は自分の手だけでやる!
と決めていたらしい。
でも、親としておせっかいだけど、LINEでメッセージを送りました。
昨夜も今朝も会えなく残念でした。
いくつになっても、親は子を心配するし、いつでもサポートするし、したいと思っているのが親心です。
さて、最終面談ですが、ここまで来たらやれるだけのことはやってあげたい。
せっかくその為にラグビーをやってきたんだから。
この前のアドバイス、失敗から気づいた経験を会社はもちろんのこと、お客様にも活かしたい、と言う話に加えて、
前に書いた私のブログ、ラグビーに救われた家族の話、を必ず何回かゆっくり読んで面談に臨んで下さい。
家を売ると言うことは、家と言うモノを売るのではありません。皆んな一生に一度の買い物をするわけです。設備なんかどうでもよく、想像するのは家族の幸せの姿だけです。自分の経験、ラグビーの経験、私のブログを読んで感じたこと、、、そんなことを素直にしっかり話せば必ず受かるでしょう。
頑張れ!裕。
父より
送ってしばらくしたら、裕から珍しく電話の着信がありました。
「もしもし」
しばらく無言、、、
「どうした?」と私。
「ごめんなさい、、、頑張ってきます、、、」
その声は、嗚咽で言葉になっていませんでした。
そして、最終面談の翌日の朝、内定の電話がかかってきました。
「面接官からすごく良かったと聞きましたよ。ぜひ来て下さい。」
すごくリラックスして、とてもいい雰囲気だったから、受かったと思ったよ!
おめでとう!!
4年間、特にどこにも連れて行けなかった次男に、就職前にアメリカを見せてあげたかった。
長男にもそうしたように。
そんな理由で、お正月休みに西海岸に連れて行きました。
もちろん初めてのアメリカです。
アメリカすげ~~!
英語勉強したい~~!
早速、Daiwa グループでアメリカ支社を探していました。(笑)
いいね~~これから裕は何でも出来るんだよ。
私の使命は、、、
私は、子供たち、若者の憧れの存在でいたい。
そう思うんです。
大人っていいな、働くことって楽しいな、、、
自らも一生懸命働いて、そして楽しんで、若者に勇気と希望を与えていきたい。
そう思うんです。
こうして、私の子育てはすべてが終わりました。
2018年1月