これからず〜っと働くのか〜〜!

これからず〜っと働くのか〜〜!(笑)

入社式前に会社に立ち寄ってくれました。

今年新社会人になった次男が、そう言って入社式に向かいました。

そう、これから40年間、働くのです!!
働くことは、国民の義務ですからね!(笑)

新卒からず〜っと私たちの会社、そう37年間勤め上げ、規定により60歳で定年の区切りを迎えた田崎さんの、還暦をお祝いするパーティーを、錦糸町の東武ホテルレバント東京で行いました。

2年前、小見さんの定年の時は、数年前から、後2年だから、後1年だから、、、とカウントダウンをしはじめていたんで認識はしていましたが、田崎さん場合は全くそんなことは聞いていなかったので、全くノーマークでした。

昨年「社長、僕来年定年ですよ。わかったますか?」と言われて、マジ〜〜って、
気がついたくらいです。(笑)

それに、見た目も全く60歳には見えませんからね〜。

田崎さんは、

1981年(昭和56年) 大学卒業後 新卒入社 37年

月額 100000円
得意な学科 特になし  趣味 読書 <スポーツ>欄  野球 スキー

健康状態  良好

このように、何も書いていない白紙のような履歴書。
今ではゼッタイに採用していないですよね。

37年間、ず〜っと丸安毛糸です。
入社して間もなく結婚したように思います。
当時、えっ!そんな早く結婚しちゃうんだ、、、と思った記憶があります。

私は18歳、まだ高校生。
当時は自宅と会社が同じ場所。 彼女を連れてくるにも、関所(会社)を通らなければならなかったので、いつも誰かに監視されていました。
もちろん田崎さんのニヤニヤ笑った顔もとっても嫌でした。(笑)

田崎さんが会社に入った年に、ちょうどグアムに社員旅行があったんですが、
た〜さん(田崎さんの愛称)は、まだ連れて行ってもらえず、会社に来ては私の弟の隆弘(当時8歳)のキャッチボールの相手をしていたそうです。(笑)

それがよっぽど悔しかったせいか、その後の社員旅行ではいろいろやらかしていることは、
社外にはナイショです。

田崎さんと言えば、何と言っても、その面倒見の良さですね。

電気がつかない、トイレが流れない、から始まり、何か調子が悪いと皆んなから
「た〜さん!」と声がかかります。
以前は、会社の前の大きな木にクリスマスのライトアップをしていて、その飾り付けとか全部田崎さんが仕切ってくれました。

これだけだと用務員のおじさんみたいですが、もちろん会社でも親分肌を発揮して、
新入社員とか若い人の面倒を積極的にみてくれます。

もちろん、業務においても、当時ワールドさんから独立した会社、ビスケーさんを担当して、1社だけで年間5億円近い売上げをあげていました。

面倒見の良さはどこから来るかと言うと、家族愛だと思うんですね。
先日も3人の子供達の話を聞いたら、まだ全員一緒に住んでいるんですよ、、、
困ります、、、と言いながら、めちゃくちゃ嬉しそうな顔をしていました。
もう結構な年頃なんですよ。(30歳はかなり前に超えているはず)
「社長、でも楽しいですよ〜」

定年以降も田崎さんにはここで働いていただきますが、飲み過ぎには注意して引き続き健康に過ごして欲しいと思います。

飲み過ぎと言えば、ビスケーさんを担当していた時、当時のビスケーの社長もかなりお酒が強かったんですが、私に合う度に、田崎さんのことを「あんなに酒が強い人はいないな。」と言っていたことを思い出しました。

田崎さんはとにかく健康で、数年前、肺炎で入院してビックリしましたが、それまでは病院や病気で休んだ記憶がそんなありません。

なのでこれからも元気に後輩、特に若い人へ培ったノウハウを、面倒見よくしっかり伝えて欲しいと思います。

会社を第2の家族のように思い、気遣い、37年に渡り勤め上げてくれたことに、本当に感謝ですね。

ありがとうございました。

支えたご家族の皆さんにも感謝申し上げます。

改めて、田崎さん、60歳のお誕生日おめでとうございます。
37年間ありがとうございました。

そしてそして、この会を盛り上げる為に、若手チームが出し物を用意してくれました。
毎日忙しい中、皆んなありがとう!!

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